続・映画の王様

映画ライターのブログ

『リチャード・ジュエル』

ユージン・ターナー
  『リチャード・ジュエル』(19)(2019.12.5.ワーナー試写室)

 1996年、アトランタオリンピック開催時に、爆発物を発見して多くの人命を救った英雄であるにもかかわらず、FBIやメディアに爆破テロの容疑者と見なされた実在の警備員リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)と弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)の闘いを描く。
 
 クリント・イーストウッド40作目の監督作品であるこの映画は、最近の『アメリカン・スナイパー』(14)『ハドソン川の奇跡』(16)『15時17分、パリ行き』(17)『運び屋』(18)といった、事実を基にした物語の系譜に属する。
 
 無名の人物が主人公ということで、素人が本人役を演じた『15時17分、パリ行き』の失敗が頭をよぎったが、今回はウォルター・ハウザー、ロックウェルをはじめ、ジュエルの母親役のキャシー・ベイツ、記者役のオリビア・ワイルド、FBI捜査官役のジョン・ハムなどがきっちりと演じて、映画に説得力を与えている。改めて俳優の力は大きいと感じさせた。
 
 ジョエルが犯人でないことは最初から分かっているので、それならば、何を見どころとして2時間余をもたせるのかが勝負となる。その点、イーストウッドは、事の経緯を淡々と描きながら、それぞれの人物や事件の深部を明らかにしていく、という正攻法で勝負している。これこそが熟練の技だ。
 
 悪人探しと断罪は魔女狩りの昔からあるが、今の世の中は、姿なき誹謗中傷がまん延し、ジュエルのように、いつ被害者、あるいは加害者になってもおかしくはない。

 また、「結婚もせず母親と同居しているデブな男」「英雄願望のある男」などと、ジュエル=他人に勝手にレッテルを貼ったり、見た目で人を判断してしまう恐ろしさも、自戒の意味も含めて痛感させられた。