『ゴッドファーザーPARTⅡ』
『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)(1980.11.12.日曜洋画劇場)

コッポラは前作での思い残しを、この映画で描き切ったのではないだろうか。前作のマーロン・ブランドに代わって、今回はアル・パチーノが恐ろしいほどの貫禄を示す。また、ロバート・デ・ニーロがビトー・コルレオーネの若き日を演じる部分が何ともいい。
マイケル(パチーノ)の今の姿を追いながら、若きビトーの姿をオーバーラップさせる手法は見事である。そこには、ビトーのシシリー島での悲劇に始まり、流れ着いた自由の国アメリカで、ファミリーを作らなければ生きていけなかった現実、それを継いだマイケルの父親以上の苦しみ、悩み、孤独が並行して描かれる。
マイケルの周りからはあらゆる者が離れていく。長兄のソニー(ジェームズ・カーン)は殺され、次兄のフレド(ジョン・カザール)は裏切り、妻のケイ(ダイアン・キートン)も彼を見放す。そして理知的な義兄トム(ロバート・デュバル)には、ファミリーが昔のままでは成り立たないことが分かっている。
その中から、改めて家族とは、血のつながりとは何かを問い掛けながら、アメリカの暗部をも浮かび上がらせる。だからこそ、ラストの父ビトーの誕生日を祝う家族の回想シーン、一転、現実のマイケルの孤独な姿が深い感慨をもたらすのだ。
コッポラの演出、ゴードン・ウィリスの撮影、ニーノ・ロータの音楽が冴えを見せ、そこに俳優たちの好演が相まって、前作以上の映画になったと思う。











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