『復讐するは我にあり』
西川美和監督、役所広司主演の『すばらしき世界』(20)を見て、同じく佐木隆三の小説を原作とした、この映画のことを思い出した。
『復讐するは我にあり』(79)(1981.4.15.水曜ロードショー)

それにしても、何とえげつなく、どろどろとした映画なのだろう。自分がこれまでに見た今村昌平の映画では、例えば、『人間蒸発』(67)には特異なドキュメンタリー性が見られ、『豚と軍艦』(61)『赤い殺意』(64)『神々の深き欲望』(68)では性への欲望や業の深さが描かれ、今村作品全体からはエネルギッシュな土俗性や、えげつなさが感じられた。
そして、これら、他の日本映画にはちょっと見当たらないような特徴の集大成がこの映画だと言っても過言ではないだろう。
人間の持つ悪の部分や欲望をストレートに出し、殺人や詐欺を繰り返す榎津(緒形拳)。人間の情を全く無視したかのようなこの男を、ドキュメンタリータッチの冷静な目で追っていく。
そして、善を押し通そうとしながら矛盾を抱える榎津の父(三國連太郎)や、母(ミヤコ蝶々)や妻(倍賞美津子)、愛人(小川真由美)の女の業も描かれる。
彼らを見ていると、人間不信に陥りそうな嫌な気分になる。こんな映画を見せられると、例えば、同じ松竹出身の山田洋次が描く『男はつらいよ』シリーズなどは全くの絵空事であるかのように思えてくる。
それが映画という媒体の持つ幅の広さだというべきなのかもしれないが、監督の目の付け所や情念の違いで、映画は楽しいものにも苦いものにもなり得るのだということ。
自分としては、せめて映画を見る時ぐらいは、心が休まるようなものを望みたいと思うのだが…。そう思う自分は甘いのだろうか。
俳優たちがとにかくすごい。まさに、役になり切った、火花散る演技合戦が見られる。何とも後味の悪いこの映画を捨て切れないのは、彼らの魅力に負うところが大きい。
【今の一言】この映画の榎津も、『すばらしき世界』の三上も、どこか滑稽に見えるところがあるのが共通点だ。
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