大森一樹の映画『オレンジロード急行』『風の歌を聴け』『トットチャンネル』
30年間、映画を撮っていない映画監督を主人公にした『愚か者のブルース』を見た後で、その訃報に接したので、たとえ、意に沿わない企画であったとしても、映画を撮り続けた大森一樹監督に、改めて敬意を表したいと思った。とはいえ、自分は監督の映画の熱心なファンというわけではなかったので、残っている鑑賞メモでは生意気にも、結構辛辣なことを書いている。
和歌山県の田辺・弁慶映画祭に審査員として参加した際に、審査後の飲み会で、審査員長を務めた大森監督と、「今、地球上でこんな映画の話をしているのはここだけ」と笑いながら、スティーブ・マックィーンやアラン・ドロン、今は幻の女優たち、60年代から70年代のB級アクション映画の話題で盛り上がったことを懐かしく思い出す。
2010「第4回田辺・弁慶映画祭」
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『オレンジロード急行』(78)

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『風の歌を聴け』(81)(1981.12.18.有楽シネマ)

十年前の夏休み。生まれ故郷の海辺の街に帰省した主人公の大学生(小林薫)と旧友との再会や、女性(真行寺君枝)との出会いを描く。村上春樹の同名小説を映画化。
大森一樹監督の映画は初見である、と書くのは正直ではないか。以前、テレビでデビュー作の『オレンジロード急行』(78)を見た際に、途中でチャンネルを変えたことがあったからだ。だから、評判がよかった『ヒポクラテスたち』(80)も、何となく足が遠のいてしまって見ないでいた。
今回は先輩のOさんの誘いもあって、注目の新進監督のお手並み拝見となったのだが、最後まで一本芯が通ったものが感じられず、つかみどころのないまま見終わったというのが、正直な気持ちだ。
一言で言えば、不思議な魅力を持ちながらも、それを生かし切れていないという感じなのである。明らかにゴダールの『勝手にしやがれ』(60)を意識したと思われる男女の会話や、声だけが聴こえるシドニー・ポラックの『ひとりぼっちの青春』(69)など、大森監督が影響を受けたであろう、過去の映画を取り入れながら、夢とも現実ともつかないドラマが展開していく。
時折、青春という不確かなものに対する答えともとれるセリフが発せられたり、大学紛争などの世相が登場したりするので、見ているこちらの頭は少々こんがらがってくる。
例えば、『勝手にしやがれ』やウディ・アレンの『アニー・ホール』(77)を見た時と同じように、いい場面は多々あるのだが、全体から見ると、もう一つピンとこなかった印象に似ている。
それ故、こちらにも分かるところは十分に伝わってくるのだが、いったん分からなくなると迷路に陥る。よく言えばあまり作為的な映画ではないが、 悪く言えば、自分勝手な映画だともいえる。
青春時代は、誰もが通過する時期の一つ。従って、共通の夢や心の痛みなどは存在し得る。だから、大森監督や原作の村上春樹のような青春を過ごした人にとっては、この映画は身近なものとして受け入れられるだろう。
悲しいかな自分には、彼らのような青春はないので、どこか別世界の出来事のように映ってしまうところがある。大森監督には、どこかおぼっちゃま的なものを感じてしまうのだ。
『トットチャンネル』(87)(1989.1.12.)

黒柳徹子の自伝エッセーを映画化。黒柳が、NHKの放送劇団に入団して以降、テレビ草創期の現場でのドタバタに巻き込まれつつ、失敗を乗りこえながら個性派女優へと成長していく様子を描いた青春記。
天皇崩御のおかげで放映されたこの映画を、テレビと映画との関係という点から興味深く見た。そして、デビュー当時は、自主映画やインテリのにおいを強く感じさせた大森一樹が、斉藤由貴を使って手堅く娯楽作を撮っていることに驚いた。
ここでは、テレビ創世記の楽屋落ちの数々が面白く描かれ、後に映画から娯楽の王様の座を奪ったテレビの存在の変化を考えると、時代の流れの早さを感じずにはいられない。当時はそんな未来は予想もつかなかったのではないか。
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