続・映画の王様

映画ライターのブログ

脚本・竹山洋 映画編『うれしはずかし物語』『四十七人の刺客』『SABU ~さぶ~』

ユージン・ターナー

『うれしはずかし物語』(88)(1995.7.) 

 何の気なしに見始めたのだが、中年夫婦(寺田農と実に色っぽい本阿弥周子)それぞれの浮気のやり取りを半ばポルノチックに、しかもコメディタッチで見せる、語り口の面白さに誘われて、結局最後まで見てしまった。これは誰ぞ名のある者の仕業に違いないと思ったら、監督・東陽一、脚本・竹山洋だった。にっかつロマンポルノ終焉前の佳作と言えるのではないか。


『四十七人の刺客』(94)(1994.12.8.日劇東宝)

 これまで「忠臣蔵」に関する芝居や映画やドラマは一体どのぐらい作られたのだろうか。およそ300年前の出来事なのに、これほど日本人の中に浸透している事件も珍しい。

 しかも、目撃者は誰もいないし、真実を知っている者もいない。つまり、浅野内匠頭の江戸城松の廊下での吉良上野介への刃傷、切腹で始まり、赤穂浪士たちの吉良邸討ち入りで終わるという約束事さえ守れば、その間をどう描こうが自由だということ。それ故、過去にさまざまな話が作られ、今またこうして競作されるに至っている(聴けば、未見の深作欣二の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)の方は、忠臣蔵から逸脱してなかなか面白いとのこと)。

 この映画では、刃傷の真相は誰も知らない、上野介(西村晃)悪役説は大石内蔵助(高倉健)によるでっち上げ、吉良邸は要塞のようであった(村木与四郎によるセットは見事)などが新たな視点。ただ、散々焦らせておいて、最後に真相を語ろうとする上野介を、大石が「聞きとうない」と斬ってしまっては、何をかいわんやだ。期待の市川崑と健さんの組み合わせも成功していたとは言い難い。

 そこには、過去のさまざまな忠臣蔵関連作品によって植え付けられたイメージの蓄積が邪魔をしたことも否めないが、もはや忠臣蔵に新しさを求めること自体に無理があるという気もする。

 先に刊行されたインタビュー集『市川崑の映画たち』によると、「絵図面で始まり習字で終わる」など、視覚的には一応狙った通りに撮れていたにもかかわらず、市川崑の名人芸が鳴りを潜めた理由はどこにあったのだろうか。


『かあちゃん』(01)

『赤ひげ』と山本周五郎原作映画2
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f6dd0ca1574fbed6a5436e5ba1323fde


『SABU ~さぶ~』(02)(2005.1.5.)

 仕事始めから帰ってみると、妻が何やらご機嫌斜め。正月休みに見ようと思って借りていたビデオを見て「中途半端な…」と、ぶつぶつ文句を言っていた。

 その映画は『SABU ~さぶ~』。山本周五郎の原作を三池崇史が監督し、今が旬の藤原竜也の栄二と妻夫木聡のさぶで映画化したものだ。妻夫木のさぶは原作のイメージとは大きく違っていたし、おのぶ(田畑智子)を中心に持ってきてナレーションまでさせるというのもいかがなものかと思った。