続・映画の王様

映画ライターのブログです

あの頃の倉本聰「北の国から89帰郷」「北の国から92巣立ち」

ユージン・ターナー

「北の国から89帰郷」(1989.3.31.)



 このシリーズのおかげで、倉本聰は何とか本来の脚本家として生き残っていると感じるのは自分だけだろうか。


 実際、偉くなってしまい、自分の世界に凝り固まってしまった最近の彼の作品には正直言ってあまりなじめないし、過去の名作の数々が頭に残っている分、余計素直に見られなくなっているところがある。


 ところが、このシリーズだけは、彼の最後の輝くドラマとして引き継がれているためか、はたまた同じ出演者(特に純と螢)の変化や成長が見られるからか、どこかで倉本聰という脚本家を見限れないジレンマが生じる少々困ったシリーズとして、今の自分の中では存在している。


 特に純の父親・五郎に対する心の変化や、脇役の地井武男の使い方などは、倉本流に言えば「くさい、ずるいと感じさせながらも、やはりうまいわけで…」、10年近く続くこのシリーズと自分自身の変化を嫌というほど思い知らされてしまった。


 何だかんだと言いながら、4月に復活するという「池中玄太」同様、やはり自分が最も熱中して見ていたドラマのその後というのは気になるもので、あながち倉本を責めてばかりもいられないなあという気にもなる。このあたり、見事に術中にはまっているわけで困ったものだ。


「北の国から92巣立ち」(1992.5.22.)



 今回は前後編合わせると何と5時間余りの大作。とはいえ、一気に見てしまったわけだが、結局のところ、このシリーズの見どころは、慣れ親しんだ登場人物たちへの思い入れ以外の何物でもないわけで、倉本聰たちが何か新しいことを始めたわけではないのである。


 つまりは、寅さんのようなシリーズを、もう少しリアルに、成長ドラマとして展開しているだけなのだ。


 例えば、今回一番盛り上がった“正吉(中沢佳仁)の再登場” にしても、懐かしさとこちらの思い入れを巧みに利用したととれなくもないし、ここまで不幸を雪だるま式に見せられると、いいかげんつらさしか残らない羽目になる。


 ちょっとした幸福を描くことも必要なんじゃないかと思う。なぜなら、帰る所もなく東京で生きていかなければならない者もまたつらいのだから…。